地域に根差す弁護士として
菅野 浩平 弁護士
菅野 浩平 弁護士
1989年、岩手県気仙郡住田町生まれ。2008年岩手県立大船渡高校卒業、2012年岩手大学人文社会科学部法学経済課程卒業。2015年、東北大学法科大学院修了。2016年弁護士登録(69期)、弁護士法人 空と海へ入所。2018年、そらうみ法律事務所 奄美事務所へ赴任。
Q 先生が弁護士になろうと思ったきっかけや動機を教えてください。
A 子供のころから、漠然と「人の役に立ちたい」という単純な思いがありました。テレビ番組の戦隊ものを見て、レスキュー隊になりたいと思ったこともあります。身長制限からハイパーレスキュー隊にはなれないことがわかり断念しましたが、建築士の父と同じく専門性の高い仕事をしたいという気持ちがありました。
弁護士という職業が具体的に視野に入ったのは、中学生の頃だったと思います。テレビのバラエティ番組で、疑問に間髪いれずにコメントする弁護士の姿に憧れをもったこともきっかけのひとつでした。
さらに、大学生の頃、ちょうど裁判員裁判制度が始まり、死刑の基準を作ったと言われる永山裁判の本を読みました。この時、被告人の唯一の味方になれる刑事弁護人にあこがれを持ったことで、弁護士を目指そうと決意しました。私の所属していた大学では公務員を志望する人が多かったのですが、人と違うことをしてみたい、という気持ちで思い切りました。
Q 大学時代、法科大学院時代は、どのような学生生活を過ごしておられましたか?これから法曹を目指そうとする方には、どんな学生時代を過ごして欲しいと思われますか?
A <岩手大学人文社会科学部時代>
まず、大学時代についてお話します。以上のように私は裁判員裁判のスタートをきっかけに刑事事件に強い関心を持ったのですが、当時私の大学には刑事裁判を勉強するサークルがありませんでした。ちょうど大学2年生の頃に、刑事訴訟法の教授が着任されたので、刑事裁判を勉強するサークルを立ち上げたいとご相談しました。先生は快諾してくださり、私が発起人になって、10人程度の仲間たちとサークルを立ちあげました。自分自身が学びたいというのはもちろん、法律を教えてくれる先輩もいない状況でしたので、サークルを立ち上げて後輩たちを導いていくことができれば、かっこいいなという思いもありました(笑)。
私は、まず永山裁判を素材にした模擬裁判をしたいと思い、3年時の文化祭で発表できるよう準備を始めました。私が永山裁判に取り組みたいと思った理由は、裁判員裁判が始まって量刑が市民の手に委ねられた時、死刑の基準と言われる永山裁判の事例で死刑が出ないとすれば、その基準が変わる、もしそうだとするとこれってすごいことなのではないか、実際に模擬裁判で試してみたいというところにありました。
私が進行管理や裏方全般を担い準備を進め、文化祭当日は、裁判員は学生がするという形で、模擬裁判を行いました。今思い出すと、尋問時に弁論が始まってしまうような型破りな裁判だったのですが、模擬死刑の執行まで全工程をやり遂げることができました。模擬裁判で死刑の執行までやることはあまりないと思うのですが、死刑とは人の命を奪う刑罰なのだということを自分自身も意識しなければならないと思いましたし、模擬裁判に参加してくれた方にも知ってもらうべきだという考えからの試みでした。
模擬裁判が終わった後の達成感、充実感は非常に大きく、今振り返っても人生の一大イベントになりました。「大学時代好きなことを思い切りできた!」という実感を得られた思い出深い出来事でした。
<東北大学法科大学院時代>
このような大学時代を経て、東北大学法科大学院に進学しました。私は、純粋な法学部出身者ではなかったので、未修コースに進んだのですが、法科大学院での3年間はとにかく勉強しました。
一番苦労したのは1年生のときで、とにかく基本書の熟読をしましたが、基本書が難しすぎて、教科書に付箋を張り付けてそこに自分なりの要約を書いていました。自分で工夫をしてなんとか読みこなし、学習を進めていきました。
2年生からは、仲の良い同級生と各分野の論点を議論するゼミなどを行っていました。学生同士の議論は、楽しくはあるのですが何が正しいのか結論が出ないことも多く、時間が無駄になってしまうという側面もあるので、途中からは同級生とともに司法試験の過去問を解く練習を多く行いました。自分ひとりではサボってしまったり、やる気をなくしてしまったりすることもあると思いますが、仲間とともに時間を決めて行うことで、気持ちを持続して過去問を解く時間を確保できました。今思えば、過去問を解く前に、朝早く食堂に集合して、仲間と「やりたくないな。」という会話をしながら食事をしていた時間がとても楽しかったな、と懐かしく思い出します。
また、3年生のときには、法科大学院の先輩(当時司法修習生で、現在は仙台で弁護士をされています。)に、修習終了後の深夜に答案をみてもらっていました。これがなければ、おそらく司法試験に合格できなかったと思います。今でもその先輩には頭が上がりません。
司法試験の勉強は、試行錯誤の繰り返しでした。最終的には、思い切って難易度の高い基本書や参考書籍は学習の対象から外し、素材を絞って集中して勉強するスタイルに切り替えました。このような手を広げすぎない勉強方法を選んだことが、結果的に合格に繋がったと思います。
このように必死に勉強してきた3年間でしたが、その合間の息抜きで、法科大学院の同級生と、温泉に行ったり、フットサルの試合に出たり、楽天ゴールデンイーグルスの試合を観戦にでかけました。特に私が仙台にいたときは、田中将大投手が年間無敗を記録した年だったこともあり、入場料が安い外野席や、試合途中から入れる安いチケットを買って、球場に通っていました。クライマックスシリーズで、楽天が日本シリーズを決めた試合には心が震えましたが、後日、教授から、「気持ちはわかるけど、君たちは勉強しなさいよ。」と言われたことも、今となってはよい思い出です。
<これから法曹を目指す方へ>
法曹志望者の皆さんには、一緒に勉強をする仲間を大切にする学生時代を過ごして欲しいと思っています。
小中高大学の仲間も特別であることは言うまでもないのですが、司法試験という目標をもって一緒に勉強できる仲間を持てるのは法科大学院だけでした。私は今でも当時の仲間と交流がありますが、法律の話が通じ、かつ、気兼ねなく話せる仲間は特別に感じます。
また、これは当然ですが、しっかり勉強をする学生時代を過ごすことが必要だと思います。本当は、勉強もそこそこに、十分に遊ぶ学生時代を過ごして欲しい…と、言いたいところですが、一部の天才的な方を除いて、これでは司法試験に受かりません。私も、当然のことながら天才的な人物ではありません。私のような凡人でも司法試験に受かるためには、やはり十分な勉強量が必要だと思いながら、必死に勉強しました。これをせずに司法試験をあきらめることになると一生後悔するかもしれません。
具体的には、やはり仲間と時間を共有して、勉強に対する前向きな気持ちを作り、勉強する時間をしっかり確保することが近道だと思っています。
Q 奄美に赴任された経緯と現在の業務内容を教えてください。
A 現在所属しているそらうみ法律事務所に就職する際に、1年のトレーニング期間を経て、奄美に赴任することが前提となっていました。もともと当事務所の先輩弁護士が奄美の公設事務所に勤務しており、そのまま奄美に定着し、当事務所の支店を開設したという経過があります。なので、私は奄美支店の2人目の弁護士として、そちらへ赴任する予定だったという経緯です。私は岩手県の住田町という人口5000人程度の町出身なのですが、以前から漠然と出身の町と同じくらいの規模感の地方で仕事をしたいという気持ちを持っていました。奄美はまさに、このイメージに合致したので、喜んで赴任しました。
奄美での業務は、債務整理業務が3割、一般民事事件が3割、家事事件が1割、そのほか成年後見業務や顧問業務などを取り扱っています。
Q 現在、新型コロナ禍と言われていますが、そのような中で先生が力を入れている業務分野はありますか?
A 結論からいえば、現在の業務で、特別コロナ禍前の業務と変えた点はほとんどありません。もちろん、コロナ禍により、Zoomを用いた相談や、対面相談時の消毒などの対応はしています。しかし、現状では、コロナ禍により、少なくとも奄美大島内の島民のニーズが大きく変わってきているとは感じていません。もともと行ってきた債務整理、離婚などの家事事件、その他の一般民事などを、コロナ禍前と変わらず適切に解決していくことが島民の方のためになると信じています。
他方で、今後のことに焦点をあてると、債務整理の形は大きく変化していくのではないかと思っています。現在は、多くの事業者に補助金が交付されており、かつ、ハードルが下がった貸付を受けることでなんとか破産を避けている状況だと思います。しかし、今後は、貸付金の返済を迫られることとなり、コロナ禍に起因する破産事件が増えるのではないかと思っています。
このようなコロナ禍の債務整理では、破産ではなく、自然災害債務整理ガイドラインを活用する必要があります。自然災害債務整理ガイドラインを利用しての債務整理は、登録支援専門家が手続きを進め、主要な金融機関の同意書を得ることが必要になります。しかし、現状では、おそらく奄美大島内の金融機関(特に奄美大島内だけに存在する金融機関。)は、ガイドラインの存在すら知らないところがほとんどであると思います。本来であれば、弁護士が金融機関を周るなどして、この周知をしなければならないと感じていますが、そもそも奄美大島内には弁護士が少なく、また、登録支援専門家となれる弁護士となると更に少なくなります(現在、奄美大島内では登録しているのは私だけかもしれません)。
そうなれば、実際に困るのは島民の方々ですので、この問題は鹿児島県弁護士会とも共有し解決していくべきだと考えています。
Q 先生がお仕事をされている中で、法科大学院で学んだことが生きていると感じることはありますか?
A 法科大学院の教授等が行っていた授業のことは意外と覚えており、実務でも、ふとした時に思い出すことがあります。授業を聞いていたときは、「そんなこと司法試験では出ないよ…。」と思いながら聞いていたことが、実務で役立つことがあります。そう考えると、司法試験に直結しない教授等の授業も聞いておいて良かったなと思っています。
一例を挙げると、本来、被相続人の子2人が等分で不動産の持分をもっているべきなのに、子のうち一人が不動産の完全な登記を有していた事例において、登記を有していない子は、完全な登記を有している子に対してどのような請求ができるか、という事例がありました。要は、相続登記の抹消登記請求ができるのか、2分の1の更正登記請求ができるに留まるのか、という論点ですが、これは法科大学院で勉強した記憶があり、この事例に会ったときははっとしました。
Q 今後、弁護士として、どのような目標をお持ちですか?
A 私は、破産分野、特に破産管財人の業務が好きです。奄美大島では、弁護士が少ないこともあって、期が若い時から、裁判所からの破産管財人の業務依頼があります。おそらく、私は、大都市圏で業務をしている同期と比べても個人・法人の破産管財人を多く経験していると思います。
他方で、奄美大島では、債務額が億を超えるような破産管財事件はなかなかありません。破産法又は破産法の参考書等は、どちらかというと大規模な会社等の破産を念頭において規定又は言及されている部分が多い印象で、私も、今後は、可能であれば大規模な破産管財事件に関わりたいと考えています。
また、もう少し抽象的な目標をいうと、依頼者からもっと信頼される弁護士になりたいと思っています。信頼をどのように勝ち取るかは、依頼者によって様々です。一生懸命にやっていれば、それを感じて信頼してくれる依頼者だけではないと思っています。私は、(今もそのように考えている部分はあるのですが)「一生懸命やっていれば、それが依頼者にいつか伝わる」と思って弁護士業務をやってきました。しかし、依頼者によってそれぞれニーズが違うということが、本当の意味で分かってきたような気がしています。例えば、離婚問題で憔悴している方には、寄り添い、話を聞くのが信頼を勝ち取る方法のひとつで、弁護士の重要な仕事でもあります。他方で、企業の案件などでは、担当者に寄り添って話を聞くことが必ずしも信頼を勝ち取る方法ではなく、迅速性、正確性、企業の負担の減少という点が主として求められていることもあります。根っこの部分では、依頼者に寄り添う弁護士でありたいと思いますが、他方で、依頼者のニーズをしっかり把握して、信頼を勝ち取る弁護士になりたいと思っています。
Q 法曹を目指そうとする方に何かメッセージがありましたらお聞かせください。
A 私は、弁護士しか経験していないので、この点に限ったメッセージになりますが…。
弁護士の仕事は非常に面白いです。一生の仕事にする価値のある仕事だと思っています。
私自身が、弁護士になる前にできていた訳ではありませんが、法曹になってどのようなことをしたいのかをなるべく早くからイメージしておくことは、自分の道を決める上でとても有用だと思います。もちろん、後から目標を修正しても当然良いと思います。他方で、法曹になった後の目標を決めることをしないと、司法試験がゴールになってしまうかもしれませんし、仕事も楽しく感じないかもしれません。自分の人生を楽しくするためにも、今から、多くの法曹の仕事に触れる機会を持ち、法曹になった後の目標をイメージできれば、大きなプラスになると思います!