法曹養成制度をめぐる最近の議論について
2008年8月7日
法科大学院協会理事長
青 山 善 充
日本の法曹人口の増加については、2002年3月の閣議決定によって「法科大学院を含む新たな法曹養成制度の整備の状況等を見定めながら、平成22年ころには司法試験の合格者数を年間3,000人程度とすることを目指す」とされ、これに基づいて昨年6月の司法試験委員会の決定により、今後3年間の司法試験合格者数の一応の目安として「2008年 は新司法試験2,100人ないし2,500人(旧試験200人)程度、2009年は新試験2,500人ないし2,900人(旧試験100人)程度、2010年は新試験2,900人ないし3,000人程度(旧試験は前年よりさらに減少)」とすることが明示された。
ところが、最近、新司法試験の合格者の質が低下しているとか、法曹資格者の就職が困難 になっていることなどを理由として、上記合格者の増員計画を見直すべきであるという意見が一部から唱えられるに至っている。
司法試験が司法修習を経て法曹になることができる能力を備えているか否かを問う資格試験である以上、その能力が一定の水準に達していない者を合格させるべきでないことは当然である。また、後に述べるように、そのような能力を涵養すべき法科大学院における教育についての問題点の指摘や批判に対しては、私たちも謙虚に耳を傾け、改善を要する点は適切に改善の措置をとり、その教育の質をいっそう向上させるように努める所存である。
しかし、最近の議論のあり方には、問題が多いと言わざるを得ない。そもそも、裁判員制度をはじめとする今般の司法制度改革のすべての前提は、質量ともに豊かな法曹人口を確保することであった。国民があまねく司法サービスを受けられるようにするという改革の目標も、法曹の飛躍的増員なくしては達成できない。このことは、法曹三者を含む国民的合意であったし、現在でもこのことに変わりはない。その合意に基づいて発足した法科大学院制度がようやく定着しつつあるこの時期に、増員見直し論が喧伝されることに、私たちは、日本の司法の将来のために、戸惑いと危惧の念を禁じ得ない。
以下、やや具体的に最近の増員見直し論の問題点を明らかにして、広く国民の皆さまのご理解を得たい。
第1に、増員見直し論が理由とする、新司法試験合格者の質が低下しているとの主張には 十分な根拠があるとは言い難い。司法修習終了時のいわゆる二回試験の不合格者数が、以前に比べて増えたことが、質の低下論の証拠とされているようであるが、旧司法試験の合格者と比べて、新司法試験の合格者の不合格率が特に高いわけではない。その他の点においても、 法科大学院を修了して新司法試験に合格した司法修習生が、全体として、旧試験時代の修習生に比べて劣るという客観的な証拠はない。
むしろ、新司法試験合格者の指導に当たる関係者の間では、議論能力、調査能力、学習意 欲などの点で、旧試験合格者より優るという評価が多く聞かれる。それは、従来の法学部あるいは司法試験予備校に比べ、法科大学院においては、法曹倫理などの科目をも含め,はるかに充実した教育が行われ、学生たちも高いモチベーションと旺盛な学習意欲のもとに熱心に勉学に励んでいることの結果であろう。
しかも、新しい法曹養成制度の成果は、そうした部分的な評価ではなく、実際に実務に就 いた法曹が良質の法的サービスを提供できる専門家として社会に貢献しているかどうかによ ってこそ測られるべきものであろう。法科大学院の第1期修了者が実務に就いてようやく半年を経たにすぎず、第2期修了者はなお司法修習の途中である現段階では、法科大学院制度の下で養成された法曹の質を判定できるだけの十分な材料が揃っていないというのが実相で ある。
第2に、増員見直し論の根底には、法曹資格者の就職難や弁護士間の競争の激化などへの 懸念があると思われるが、それは司法制度改革の展望を欠いた議論であり、守旧的発想と批判されてもやむを得ないであろう。日本弁護士連合会がかねて悲願とするいわゆるゼロワン地域の解消は、いまだ目標が完全に達成されたわけではなく、弁護士によるアドバイスを身近に求めたいと思ってもそれが叶わない司法過疎地域は、まだまだ多い。仮に法曹人口の増加によって一時的に弁護士としての就職難や競争の激化が生ずるとしても、そのような状況の下でこそ、弁護士が業務を拡大し、諸外国のように法曹資格者が企業、官公庁、公共団体その他の分野へと活躍の場を広げる動機付けが生まれるのである。
増員見直し論の根拠として、弁護士事務所によるオン・ザ・ジョブ・トレーニング(実務 を通じた指導・教育)の困難も挙げられているが、法律事務所内での訓練ができなくなるのであれば、弁護士会として系統的な導入教育・継続教育の仕組みを整備することによって対応することを考えるべきであろう。必要なら、私たちもそれに協力したい。
第3に、私たちが何よりも憂慮するのは、増員見直し論が、法曹の増員計画を信じて法科大学院に入学し、いま懸命に勉学に励んでいる全国の法科大学院の学生を裏切り、現場に無用の混乱をもたらしている点である。特に今年の新司法試験は、冒頭に述べたように「合格者数2,100人ないし2,500人」を目安としてすでに実施され、現在その採点の真っ最中である。もし増員見直し論が今年の合格者目標値をも減らせというのであれば、すでに今年の司法試験を終えた受験生へ無用な不安感を与えることになり、それは、法科大学院関係者ならずとも、とうてい受け入れられるものではない。また、このような議論は、多様な人材が法曹の途を選ぼうとする意欲を減殺するものであり、法曹全体の質的低下を招くことが強く懸念される。
最後に、国際的な司法分野における競争という観点からも、増員見直し論は疑問である。 「2010年ころまでには司法試験合格者数を年間3,000人に増やす」という現在の目標は、各方面の有識者を集めた司法制度改革審議会において、さまざまの議論を経た結果として提案され、政府が決定したものである。年間3,000人という数字は、諸外国の法曹人口と比較した場合、最低限の数字である。増員計画をペースダウンすることは、先進諸国はもとより、法曹人口の急速な増加を図りつつある中国、韓国などアジア近隣諸国と比べても、世界の趨勢に逆行するものであり、司法分野における国際競争に我が国だけが決定的に立ち後れる危惧を感じないわけにはいかない。
以上、最近の増員見直し論の問題点を述べたが、だからと言って私たちは、現在の各法科大学院が万事理想的な状態にあると主張しているわけでは決してない。
改めて言うまでもなく、法科大学院が法曹養成の中核機関として設立されたのは、そこにおいて21世紀の司法を担う法曹に相応しい法律の専門的知識のほか、豊かな人間性や感受性、幅広い教養と柔軟な思考力、説得・交渉の能力などの資質を備えた優れた人材を養成す る使命を社会から負託されたことにほかならない。そのことは、法科大学院の側から言えば、 それぞれの法科大学院が自らの意思でこの重要な使命を引き受けることを決断した結果であ る。もし社会から負託されたこの使命に相応しい教育成果――それは司法試験に合格さえすればよいということではない――を挙げることができない法科大学院があるとすれば、淘汰されても当然であると私たちは考える。
法科大学院制度が発足して4年半、この間、多くの法科大学院は、真摯にかつ多大な努力を傾注して教育に取り組んできた。それでもなお、現在の法科大学院教育には、理想の達成に向けて改善を要する点があることも確かであり、法科大学院協会としては、すでにその問題点及びその改善の方途の検討に着手している。
具体的には、①各法科大学院は入学者選抜において将来の法曹の卵として真に相応しい学生のみを選別して入学させているか、②十分に教育力のある教授陣が学生に対して密度の濃い充実した教育を行い、厳格な成績評価を実施しているか、③学生の修了について、それぞ れの法科大学院が掲げる教育の理念と目的に沿って修了要件の認定を行い、法務博士の学位 に相応しい優れた修了生を社会に送り出しているか、などが特に重要な問題点である。
この際、全国の各法科大学院においても、これらを含め種々の問題点を自ら点検し、改善すべき点は改善し、それぞれが理想とする法科大学院教育を実現するため、たゆまぬ努力を重ねていく必要がある。それは、自らの意思で上記のような社会の負託を引き受けたそれぞ れの法科大学院の責務にほかならない。
私たち法科大学院関係者は、今後とも文部科学省、法務省・検察庁、最高裁判所・司法研 修所、及び、日本弁護士連合会・各単位弁護士会などとの協力関係を保ちつつ、新しい法曹 養成制度を確固としたものとし、いっそう向上させていくため、不断の改善の努力を惜しまない覚悟である。このことを披瀝しつつ本声明を発表し、重ねて広く国民の皆さまのいっそうのご理解とご支援をお願いする次第である。
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